<003>「斉藤哲夫」、1970年デビュー。ときに「哲学者」ときに「グッドメロディーなシンガーソングライター」。全アルバム紹介<前編>。

斉藤哲夫前編
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キキオです。
本日も『キキオ案内所』にお越しいただきありがとうございます。

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はじめに

『キキオ案内所』第3回投稿は、1970年にデビューしたシンガーソングライター、斉藤哲夫(さいとうてつお)さん(以降人物名の敬称略)をご紹介します。
「フォーク」と言うジャンルに分類されている方です。

わたしが、ずっと聴き続けている音楽家の一人です。

斉藤哲夫と言う人を初めて聴いた小学生の時。
おしゃれで、粋に感じました。

今日は、斉藤哲夫の全アルバムをご紹介します。

と、記事を書き進めましたが、長い記事になりました。
「前編」と「後編」に分けてお送りします
今回は「前編」。
デビューから4枚目のアルバムまでをお届けします。

それ以降の「後半」はこちら。
冒頭で、「ずばり、おすすめ」もあげています。

斉藤哲夫とは

斉藤哲夫は、1950年生まれ。

1970年、明治学院大学在学中、19歳でシングル「悩み多きものよ」でデビュー
その頃は、ボブ・ディランに強く影響を受けたと思われる詞になぞらえて、「フォークの哲学者」と呼ばれていたそうです。

その後、70年代から80年代頭までは、コンスタントに作品をリリース。
それら一連の作品は、極めて良質なポップソングになっています(とわたしは感じています)。
ご本人も、ビートルズ、特にポール・マッカートニーから影響を受けたと公言されていたと思います。

80年代半ば以降は、実に寡作と言える状況になっていきました。

そんな中、毎年クリスマスの時期にTBSで放送されている、小田和正の番組『クリスマスの約束』に、2006年に出演されました。
ここで斉藤哲夫という人を認識された方もいるのではないでしょうか。
小田和正の「いつか来て欲しかった」という主旨のMCがとても印象的でした。

現在もライブ活動は継続されています。
公式ホームページには、ライブ情報が更新されています。
現在、71歳。
今後の活躍も期待です。

「前編」で取り上げている作品は、すべてApple Musicにあります。
各ストリーミングサービスでも検索してみてください。

この記事を読むとこんなことがわかります。
・「フォークの哲学者」と呼ばれたシンガーソングライター・斉藤哲夫の全体像がつかめる。
・「きわめてポップ」な斉藤哲夫を知ることができる。
・2021年現在、斉藤哲夫をどこから聴けばいいのか、ささやかながらガイドになる。
・蛇足として、わたし、キキオがどれだけ斉藤哲夫が好きかわかる…。

それでは、全アルバム紹介「前編」を始めます。

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斉藤哲夫・全アルバム紹介「前編」

『君は英雄なんかじゃない』(1972)

URCからリリースされた1枚目のアルバム。
(「URC」と言うレコード・レーベルや「CBS・ソニー」などレコード会社については、書きたいことがたくさんありますので、また別の記事にします。楽しみにお待ちください。)

1970年にリリースされたジャックス、早川義夫プロデュースのデビュー曲「悩み多きものよ」や7分以上に及ぶ大曲「斧を持て石を打つが如く」などが収められています。
その名もずばり「日の丸」と言う曲も収録されています。

まさに「哲学者」と呼ばれるにふさわしい重みを持った曲たちです。

でも、ご本人は哲学者と言われることに苦悩されていたそうです。
それがのちの個人的に勝手に「CBS三部作」と呼んでいる、次からの3枚のアルバムの、あふれんばかりのポップさ、洒脱さにつながっている気がします。

あらためて聴いてみると、ヴォーカルのスタイルなど、早川義夫のアルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』(1969)にも影響を受けているのだと感じました。

一般的に言うフォークソング、と言う言葉にピンとくる方は、まずこのアルバムから入るのもおすすめです。

参加しているミュージシャンの方々を列挙しておくと…。

ピアノとして鈴木慶一渡辺勝の名前が。当時はバンド「はちみつぱい」の頃。
綾小路弘仁と言う名前も。柳田ヒロです。バンド「エイプリル・フール」、「フード・ブレイン」などなどいろいろなところで素晴らしいプレーを残されています。
オルガンやギターとしても渡辺勝は全面的に参加。
ギターとしては、後述する野澤享司の名前もあります。

次作からの3枚でもアレンジャーとして素晴らしいお仕事をされている瀬尾一三も編曲でクレジットされています。

URCからは唯一のリリースで、斉藤哲夫の歌の幕開けと呼ぶにふさわしい、ファーストアルバムです。

※訂正
のちに吉田拓郎にカヴァーされる「されど私の人生」は、URCからの2ndシングルです。
記憶が混乱していました。
現在、Apple Musicでは、シングル作品として聴くことが可能です。
訂正いたします。
また、CDではライブ・バージョンがボーナストラックとして聴けるようです。

『バイバイグッドバイサラバイ』(1973)

2枚目のアルバム。1973年リリース。
URCからCBS・ソニーにレコード会社を移籍
ここからの3枚がCBS・ソニーからのリリースです。
わたしは、勝手に「CBS三部作」と呼んでいます。

中津川でおこなわれた全日本フォークジャンボリーに参加されたり、いろいろな想いがこの頃の斉藤哲夫にはあったのだと思います。

この2枚目から4枚目は、非常にポップで、また実験性にもあふれた作品となっています。
3枚とも、瀬尾一三が編曲をしています。

タイトルトラック、ちょっと不思議なメロディーでありながらポップな「バイバイグッドバイサラバイ」、何か決意のようなものを感じさせる「もう春です(古いものはすてましょう)」、ラスト曲、街の風景を見ているかのように描写される「吉祥寺」など、ポエトリーリーディングのような瞬間もありますが、全体的に非常にポップ
耳に入りやすいメロディーが数多くあって、とても聴きやすい。

ラスト曲「吉祥寺」の「チーチキ、キチジョウジー」のような言葉遊びもとても楽しい。
大好きです。

今聴いても新しさを感じるので、73年と言う時代にどう響いていたのか。
当時のリアルタイムの空気を知っている方におうかがいしたいものです。

このアルバムが、次作の大名盤『グッド・タイム・ミュージック』に繋がっていきます。

参加ミュージシャンについても触れておくと、編曲として大きく瀬尾一三の名前が。
この時期の斉藤哲夫にとっての瀬尾一三の大切さがわかる気がします。

他には、のちのムーンライダーズ岡田徹白井良明の名前が。
また、ドラムにはチト河内、ベースには後藤次利の名前もあります。
今につながる音楽シーンの瞬間が確かに記録されています。

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『グッド・タイム・ミュージック』(1974)

3枚目。1974年リリース。

このアルバムが斉藤哲夫と言うミュージシャンを語る上では、もっとも大切なアルバムではないでしょうか。
名盤」とあげる方も多いのでは。

小田和正の番組『クリスマスの約束』2006年放送でも、タイトルトラック「グッド・タイム・ミュージック」が歌われました。

本人が弾くアコースティック・ギター、瀬尾一三によるストリングスのアレンジ、また重層的なコーラスワーク、そのすべてが当時は新鮮に響いたのだろうな。

ご本人がどこかで「ビートルズの『アビーロード』のB面を意識して作った」と言うような趣旨の発言をされていた記憶があります。
それも納得。

ある種のコンセプトアルバムとも言えると思いますが(15曲も入っています)、2021年の今こそ多くの人に届いてほしい。
そんな1枚です。

あと1点。
斉藤哲夫と言う人の曲には、「友だち」と言うモチーフが出てくる頻度がわりとあって、そこも好きです。
今作でも、シンガーソングライター・野澤享司(しばしばギターとして参加)のことを歌ったその名もズバリ「野沢君」や、2枚目のラスト「吉祥寺」で会いに行くのも恋人ではなく、友だちだったり。
そんなところも良いな、と思います。

参加ミュージシャンとしては、白井良明の存在が光ります。
中ジャケットにも2人で映った写真が掲載されています。
この時期、斉藤哲夫と言うミュージシャンにとって、白井良明はとても大きな存在だったのですね。

チト河内のグループの他にも、ペダル・スティール駒沢裕城の名前も。

どうしても1枚を!と言うことであれば、やはりこのアルバムをおすすめします。

『僕の古い友達』(1975)

4枚目。1975年リリース。

個人的に思っている「CBS三部作」最後を飾る作品です。

このアルバムは前々作、前作と比べると、力が抜けているというか、穏やかな気持ちで作られたのではないか、と勝手に予想しています。

素敵なコーラスから始まる「夜空のロックンローラー」からアルバムはスタート。
やはり友だちがテーマのピアノとギターのアンサンブルが素敵な「僕の古い友達」、ギターのアルペジオが素敵な「さんま焼けたか」などなど。
「まさこ」とか「さんま焼けたか」と言うなかなかポップソングに馴染まないと考えられそうなタイトルの曲。
「さんま焼けたか」の歌詞には三味線のことである「しゃみ」、「粋な親父」なんて言葉とともに東京の下町が歌われています。
そんな力の抜け具合も素敵です。

渾身とも言える前2作を作り、反動で力がすっと抜けたのかな、と思っています。
地味かもしれませんが、佳作と言えるアルバムだと思います。

参加ミュージシャンの中には、前作までのメンバー以外では、ドラムに林立夫、ギターに大村憲司、キーボードに松任谷正隆(ご存知の方は多いと思いますがユーミンこと松任谷由実の旦那さんです)の名前が。
日本のポップスの今にきちんと繋がっているんですね。

ここまでの4枚は、斉藤哲夫入門としては、とてもおすすめです。
ぜひとも聴いていただいて、斉藤哲夫の世界に入り込んでいただけたら嬉しいです。

「前編」最後に

この記事で多くの方に、あらためて斉藤哲夫と言う素晴らしいミュージシャンの音楽が届いてくれたらと願います。

79年リリースのアルバムから、現在までは後編に書きます。

後編の更新まで、しばらくお待ちください。

今回も長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
少しでも何かをお届けできたら…本当に嬉しいです。

最後の最後に脱線しますが、定額ストリーミングサービスは、ハイレゾでも聴けて最高なのですが、クレジットと言う文化が失われている気がしています。
作詞作曲編曲はもちろん、参加されているミュージシャンの方々、スタッフの方々、そしてSpecial Thanksの欄の中の名前。
それらを含めて聴くのが楽しかったし、そこから多くの学びがありました。
これも時代の流れでしょうか…。
なんとかならないものか…。

話が逸れてしまいましたが…。
それでは、後編でお会いしましょう。


キキオ

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