<011>追悼 落語家、柳家小三治・桂文字助 「東京かわら版」に見る2021年、演芸界で亡くなった人々・その5

柳家小三治・桂文字助
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キキオです。

日本で唯一の演芸専門誌『東京かわら版』。
2022年4月号の中に「寄席演芸年鑑2022」という部分があります。
これは、昨年2021年の寄席演芸界でなにが起こったか網羅している貴重な資料です。

というわけで今回は、その中にある「2021年笑芸関係の物故者」から、昨年お亡くなりになった方について、個人的な思い出を中心に書きたいと思います。
個人的な思い出も含めて書きますので、すべての方を網羅はできません。
かなりざっくりとピックアップしました。
すみません。

今回は、その5回目。
今回は人間国宝・柳家小三治師匠と、桂文字助師匠について書きます。

たくさんの方々が亡くなるのは寂しいし堪える。
皆さまのご冥福をお祈りします。

なお、演芸専門誌『東京かわら版』については、別記事を作成予定です。

(文中、敬称は略させていただたます。)

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柳家小三治(落語家)

落語家。
10月17日。
81歳没。

人間国宝である。
先代5代目柳家小さんに続いて、師匠と弟子で、人間国宝になった。

小三治の思い出は本当に尽きない。
90年代半ばから2010年くらいまで、関東で行われた会は時間の許す限り通った。
その中でも思い出は…。

新宿末廣亭6月下席、夜のトリ。
その日は「やかんなめ」だった。
場内爆笑に継ぐ爆笑が起こり、帰り際、寄席の入り口で、年配の女性が、そこにたまたまいた二つ目をつかまえて、
「ねえ、今の何て言う噺?初めて聴いたわ。」
と尋ねているのが印象的だった。

また、恒例の上野鈴本演芸場での独演会。
行ってみると舞台の上にピアノがあった。
嫌な予感がしたが…その予感は当たった。
小三治が歌いまくった。
多趣味な小三治の趣味の一つが歌である。
どこかで弟子の柳家三三が、
「普段、そう言う師匠じゃないんだけど、この時はお小遣いくれました」
と言っていて、笑ってしまった。

小三治は、大きな噺も持っているが、小さな噺をトリ、つまり寄席の最後にかけることが多かった印象がある。
他の噺家がこれをやったら不満を言いたくなるお客さんもいると思う。
でも小三治は、満足させた。
わたしが聞いたのは、鈴本演芸場での「初天神」。
もともとこの噺を好んで聴いているほうではなかったのだが、この日は唸らされた。

柳家小三治については、コラムニストの堀井憲一郎氏が素敵な文章を書いているので、そちらを紹介ししたい。

堀井氏の文章を読むと、小さな噺をやるのは、本来の「小さん」の形であることがわかる。
なるほどと合点が入った。

ある一時期、浴びるように小三治の落語を聴くことができて本当に幸せでした。

桂文字助(落語家)

落語家。
10月16日。
75歳没。

立川談志の総領弟子である。
とはいえ、元々は6代目三升家小勝に入門。
小勝が亡くなったために、談志門下に移ったのだ。
落語の世界では、真打になる前に師匠が亡くなると、誰か他の真打の門下に移る。
桂文字助の場合、それが立川談志だった。
(と言う意味では談志に一番最初に入門したのは現落語立川流代表・土橋亭里う馬である。)
なぜ立川談志か。
おそらく、『笑点』の初代座布団運びが文字助だったからだ。
その『笑点』を作ったのが立川談志である。
そうやって縁ができたのではないか。
(笑点開始時のメンバーはこれで全員いなくなってしまった…)

2000年代、一桁の頃、立川流は日暮里サニーホールで、毎月二日間、落語会をやっていた。
談志はもちろん、志の輔、談春、志らくというような人気者は出ていなかったが、やはり立川流の全体像がつかみたくて、繰り返し通った。
(ただ、立川流のこの会は手品や太神楽のようないわゆる「色物」さんがいないため、落語ばかりが連続する。本気で聴くと毎回ものすごく消耗したのを覚えている。現在は上野広小路亭に移って続いているようである。)

文字助も何度となく観ていたが、いつも相撲の噺である。
「阿武松」だったり「佐野山(谷風情け相撲)」だったりした。
文字助は相撲部屋に稽古を見に通ったり、場所中も両国国技館に足を運んでいたくらい相撲好きであり、勉強熱心だったと聞いている。

師匠談志の相撲の噺を聴き「そこはおかしいですよ」と言うようなことを言ったら、談志が「じゃあ、お前が相撲の噺をやれ。俺は今後やらない。」と言ったと言う嘘か本当かわからない話が好き。

2015年には立川流を脱退。
自らの名前を冠した「文字助組」を起こすものの、実質活動休止状態だった。

酒での失敗(「しくじり」と言う言い方をします。もう慣れてしまいましたが、意外と初めての方には新鮮に響くかも。)も数多く、いろいろな大変なことがあったようです。

でも、わたしの中では、今も10年以上前の相撲の話や噺を語る、生き生きとした桂文字助が生きている。

最後に

数回に渡って、雑誌『東京かわら版』2022年4月号に載った2021年に演芸界で亡くなった人について思い出を書いています。
今回は、その5回目。
落語家、2人をご紹介しました。

お二人のご冥福をお祈りします。

書くたびに寂しさを感じますが、まだまだ更新したいと思いますのでよろしくお願いします。

キキオ

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